二月はとう立ちを夢見る月
日曜日, 2月 20th, 2011二月も半分以上が過ぎました。
端境期の不安がひしひしと押し寄せてきます。
冬は根菜の季節と言いますが、その根菜の殆どが三月になるのを待たずに、殆ど出せなくなります。
冬の間に養分を地下に蓄えて、じっと耐え忍んできた作物は、春になるといっせいに子孫繁殖の活動を始めます。
とう立ちし、花を咲かせ、実をつけ、種を充実させます。
そして、子孫繁栄のために、それまで堅実に蓄えてきた地下の養分を惜しむことなく使うのです。
緻密で、甘くて、旨みがあった根菜たちは、養分がどんどんと地上に吸い取られ、食感も味も変わってきます。
肉質は緻密だったものがすかすかになります。
ジューシーだったものが、乾いたようになってきます。
甘かったものも、甘くなくなります。
旨みも減ってきます。
作物の種類や品種によって、味の変わり方、食感の変わり方、変わる時期はまちまちですが、畑でとう立ちを気にしながら、毎日を過ごしていると、二月というのは、たとえとう立ちが目にはっきりと見えていなくても、植物は体の中で準備を始めている月なんだな・・・ということが否応なく分かります。
とう立ちはしていなくても、葉っぱの雰囲気が変わってきます。
新しい葉っぱが出てきます。
ロゼット状に寝そべっていたものが、垂直になろうとする気配がします。
地上に露出している地下部の肌の輝きが減ってきます。
どれもこれもがとう立ちを夢見て、ひそかにうごめいているんです。
美味しい野菜を作りたい、美味しい野菜を食べてもらいたい、という気持ちがあります。
その気持ちからすると、とう立ちの準備を始めて、味や食感の落ちてきた野菜は消費者に提供するべきじゃないんじゃないか・・・と揺れます。
でも、人間は限りある自然の中から、その時その時食べられるものを都合してきたので、いつでも最高に美味しいものを食べたいがために、ハウスで環境を調整したり、よそから運び込んだりするのは、人間の大きなエゴの一つなんだろうなという気持ちもあります。
その気持ちからすると、自然から食べ物を享受する側としての謙虚さをもうちょっと考えた方がいいんじゃないかな、自然から食べ物をもらうということを、こういう味や食感の変化も含めて、消費者にも知ってもらった方がいいんじゃないかな・・・と揺れます。
この揺れ動きの中で、このニンジンをまだ売ろうか、でも味がかなり落ちてきたからもう売るのをやめようか、すごく悩むんです。
二月は野菜がとう立ちを夢見る月。
二月は農家がジレンマに悩む月。