RSS Feed!

Search

カテゴリー

Archive for the ‘原発’ Category

不検出でも、野菜はようく洗ってください

水曜日, 5月 4th, 2011

震災後、鵠沼の直売では、毎回、神奈川県産野菜の放射能汚染に関するお知らせを張り出しています。
お知らせには必ず神奈川県HPのプレスリリースから、神奈川県産野菜の放射能濃度の測定値のページをコピーして付けています。

(もっとも、注意をとめる人はほとんどいないんですが)

週に一度くらいのペースでプレスリリースに発表されている神奈川県産農産物の放射能濃度は、4月27日付けの発表で初めて調べた野菜からの放射能濃度が全部不検出になりました。5月4日付けも同様。

http://www.pref.kanagawa.jp/cnt/f160255/p303607.html

http://www.pref.kanagawa.jp/cnt/f160255/p305324.html

もちろんせいぜい三つか四つのサンプルで、神奈川県の農産物全てを覆うのには無理があるというのは承知です。
それでも一つの目安にはなります。

でも、この目安には注意が必要です。

野菜の放射能濃度を測定する時には、前処理として野菜を流水でよく洗浄して(放射能物質がついている土や埃をよく洗い落として)いるのです。

もともとは農水省の野菜の放射能濃度測定に関して、このような丁寧な洗浄の記述はありませんでした。

緊急時における食品の放射能測定マニュアル 平成14年3月

ところが大震災後の3月18日に、測定時には洗浄を念入りに行うよう通達がありました。

「緊急時における食品の放射能測定マニュアル」に基づく検査における留意事項について 平成23年3月18日

原発事故初期の段階では、野菜の放射能濃度は土壌から植物が吸収するものよりも、空中から降ってきた放射性物質が野菜の表面に付着するものに起因する割合が多いと思われます。
だから、外側をきれいに洗って測定するか、洗わずに測定するかは、非常に重要なこと。

おそらく神奈川県農産物に関してもきれいに洗ってから測定してあると思います。
ということは、県の発表では不検出になっていても、普通に売られている洗浄を特にしていない野菜は放射性物質がまだついている可能性があります。
「不検出」になったからと安心して野菜を洗うのをやめるのではなく、各家庭では、ある程度の放射性物質は未洗浄の野菜についていることを想定して下ごしらえを行ってください。

行政に対する不信感はこういう小さなことが積もり積もってふくらんでいきます。

洗ってから測定するか、洗わずに測定するか、なぜ、そういう重要なことが一般の人に見えにくい状況になっているのか?
神奈川県のHPのプレスリリースにもなんらコメントされていない、そこからたどっていった農水省のマニュアルも古いバージョンだから載っていない、口コミでまわってきた情報で、ようやく隠れるようにして存在する農水省の事務連絡のページを掘りあげて知る事実。

まあね、数値を小さくするには洗うというのは有効な方法だものね。

雑草、雑草、雑草・・・

日曜日, 4月 24th, 2011

すっかり陽気もよくなってきて、雨なんかも降っちゃたりして、既に畑にある作物は発芽したり、成長に勢いがついてきたりとしていますが、もちろんのこと、作物だけが勢いを増しているわけじゃありません。

作物と同様、時には作物以上に勢いづいてるのが、いわゆる雑草です。

いきなり存在感を増した畝間の雑草、株間の雑草、畑のふちの雑草には、くらくらとめまいがするほど。

ああ・・・。
これを全部刈らなきゃいけないのか・・・。

刈払い機は一応ありますが、畝間、株間のちまちましたところは、刈払い機では無理です。
手刈りでしこしこと刈っていたら、何時間いや何十時間かかることか・・・。
なんとか省力化をはからないとやってけない、と、刈払い機のアタッチメントなんか調べたりしています。

除草剤まきたくなる気持ちが分かるねえ、と時々たそりあ夫とぼやいたりなんかして。

高齢化して跡継ぎのいない農家なんかでは、除草剤無しにはもう農業は無理・・・なんてところも多いんだと思います。

無農薬は安心だけど労力がかかる、農薬は心配だけど便利だ

なんて図式を思い描いていると、このご時世、

脱原発は安心だけど節電しなきゃいけないかも、原発は心配だけど便利だ

というのが並行して連想されてきます。

現代人って心理的にすごくやっかいなものを抱えて生きているのね、なんてため息が出ちゃったりなんかもしますが(もちろん師匠の農場のため息禁止令にひっかからないようにこっそりと)、その間にも畑の雑草は勢いを増すばかり。

もちろん除草剤は使わない。
でも、根性だけで草刈をなんとかしようというのは、根本的解決につながらない。
答えはどこにあるのか、うろうろとする就農1年生です(そろそろ2年生か?)。

原発反対VS原発容認

水曜日, 4月 20th, 2011

ベクレルだのシーベルトだの、
ヨウソだのセシウムだの、
内部被爆だの石棺だの、
昔は知らなかったボキャブラリーが巷を駆け巡り、こんなの知らずに一生を送れてたらシアワセだったんだろうか?なんてちょっぴり考えてしまうこのごろです。

系統的なお勉強はなかなか時間がとれませんが、それでも原発のこと、放射能のこと、機会があれば情報をゲットしようと頑張っています。

大地を耕し、野菜や米を作る農家にとっては、放射能汚染は本能的な恐怖です、多分。
神奈川の新規就農者にとってすらそうなんだから、先祖代々の土地を耕している農家や、ここよりももっと福島に近い農家はさらにせっぱつまったものを感じていると思います。農業だけじゃない、漁業だって、林業だって、牧畜だってそうでしょう(キノコ栽培って林業なんですってね、知りませんでした)。
まわりの有機農家は、そんな底知れないリスクを持つ原発からはもう脱却しなきゃいけないと、ほとんどが思っているようですが、世論はどうなってるんだろう?と気にかかっていました。

聞こえてくる町の意見では、安全性は大事だけど、原発がなけりゃ今の生活はなりたたないんだから、原発を廃するというのは非現実的、みたいなものが多かったからです。

そんな中、とあるBBSで教えてもらったこちらのブログ記事。

http://d.hatena.ne.jp/box96/20110313/1299988959

原子力を推進してきた側の論理と、問題点を提示してきた側の論理を羅列してあります。
電力会社とマスコミの関係などにも触れてあり、初心者の私にとっては、すごく分かりやすくて、よくまとまっていると思われたページです。
この比較羅列自体も面白かったのですが、もう一つ興味深い内容がありました。

実は著者は高校(おそらく都内の)の先生で、この羅列を元に高校生に、自分が原発誘致対象の過疎地域に住んでいると仮定して、原発誘致に対してどういう態度を取るか考えさせる、という授業を行っているのだそうです。

過去に行った授業での結果がこちらの下の方に出てきてるのですが、これが興味深い。

授業で提示された内容を私なんかが見ると、原子力なんてまっぴらご免だと思うような中身なんで、これだと高校生は殆どが原発反対の意見を持つようになるんじゃないかと思ったんですが、現実はそうではなかったんです。

男子では3割が、女子では1割が原発誘致に賛成

なのだそうです。

この男子3割、女子1割の記述を読んで、個人的に目からうろこというか、ああそうなんだとものすご~く納得しちゃったことがあります。
(済みませんが、ココから先、理屈なしで飛びます)

これって、昔だったら、自分の部族が全滅するリスクがあっても、隣の部族に戦争をしかけて略奪を行うか、それとも略奪品によって潤うことのない、かつかつの生活しかできないけど、戦争のリスクをおかすのはやめとくか・・・みたいな対立と一緒じゃないんだろうか?
リスクをおかしてでも成功を目指すとか、リスクをおかしてでも金を稼ぐとか、そういうのってなんとなく男性の方が割合が多そう・・・(済みません、このあたりもデータ無しです、直感のみです)

原発反対VS原発容認、って、実は本能どうしの対立、欲望どうしの対立だったんだ。
感情的に原発反対っていってもしょうがない、もっと科学的に考えなきゃ・・・という言い回し、よく聞かれるようなんですが、でも、これって実は本当のところはつきつめると感情どうしの対立なんじゃないか(感情という言葉はちょっと語弊があるかもしれませんが)? 科学も理屈も論理も後追いでついてくる。

土地だの海だの、自分の足がよって立つところの場所を大切にしたい、という本能と、
土地だの海だのよりも、成功だの繁栄だの便利だのを享受したい、という本能。

土地だの海だの、自分の足がよって立つところの場所を汚されたくない、という欲望と、
成功だの繁栄だの便利だのを享受できなくなるのは嫌だ、という欲望。

(誤解を恐れずに言えば、私は後者の本能、欲望を否定するわけじゃありません。これって、あくまでも人間らしいというか、人間を人間たらしめている側面の一つ(が強烈に出ている)じゃないかと思っているので)

でも、少なくとも科学やデータや理屈で理想的な未来を導き出すんじゃない。
(科学やデータや理屈は大事だし、それを抜きにして議論はできないのは重々承知の上だけど)ものすごく荒っぽく言ってしまえば、まずは本能で未来の方向を個人個人は選んでいる、そのことが男子3割、女子1割の記述から浮き上がって見えてきたんです。

おそらくいつの時代にも似たようなテーマはあったのかもしれません。

原発反対VS原発容認
戦争反対VS戦争容認
どこかもっと良い土地を求めて旅に出るVS貧しくても旅の危険をおかすよりはここにとどまる

そしてそれぞれの時代に世論調査を行ったら、男子3割、女子1割に近い結果が得られたのかもしれません。
なにかものすごく人間の本能的なところに根ざしている対立の型。

問題は現代になるほど、リスクの質がものすごくとんでもなく大きくなっていること。

科学やデータや理屈は議論の上で欠くことができない要素だけど、それだけで議論ができると思ったらきっと大間違いなのだ。
本能や欲望の底をじっと見据えることでしか見えてこないものがきっとあるのじゃないか。

そういうことをつらつらと考えてしまいました。

ため息禁止令

水曜日, 4月 20th, 2011

ブログ、滞っていました。

4月になり、桜が散り、GWに向かってあちこちの庭や公園、そして野原は、百花繚乱の世界です。人間の世界の混乱などそ知らぬごとく。
百花繚乱ということは、いろんな植物がこの陽気で、植物体のスイッチを開花にむけて切り替えてるんでしょう。
開花だけじゃなく、発芽や、成長や、その他さまざまなスイッチが植物によってONされる時期でもあるんでしょう。

というわけで、ゆっくりしてられません。

種、蒔いてないもの
鉢上げしてないもの
定植してないもの
耕うんしてない畑
草刈りしてない場所

あちらからも、こちらからも、早くしてくれえ・・・と声なき声が降ってきます。
正直言って、追いつかないほどの忙しさです。
田んぼも直に始まります。
種籾の準備をして、苗作り、田んぼの耕うん、くろの整備・・・と、水切り、田植えに向かって準備を進めていかなきゃなりません。

そんな中でも原発のことは、ずっとBGMのように、通奏低音のように、重々しくのしかかっています。

その重々しさに、ついついため息が出ます。
ため息が出るのは、たそりあばかりじゃありません。
師匠の農場でも、最近ため息が多すぎると言うことで、ため息禁止令が出ました。
ため息の数をカウントして、ペナルティを課すそうです。どんなペナルティなんだか・・・。

忙しさと晴れない気分のせいで、ブログも滞っていたわけです。

ブログで発信、もう少しペースを戻さないと・・・
時には、重~い、肩肘はった発信もあるかもしれませんが、脈絡めちゃくちゃな内容も出てくるかもしれませんが。
(そうそう、野菜情報の更新もサボってますね、そっちもなんとかしないと)